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第20回 雇用関係を失い超過滞在に

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(カトリック新聞2020年11月29日号掲載)
 日本にはさまざまな事情で暮らす、いわゆる「非正規滞在の外国人」が大勢いる。しかし、日本政府は彼らの個別の事情を考慮せず、既に「出入国管理及び難民認定法」(入管法)上の退去強制令書が出ていることを根拠に、法務省・出入国在留管理庁(以下・入管)の収容施設に無期限で長期収容したり、強制送還を行ったりしている。「非正規滞在の外国人」への人権侵害を考えるシリーズ第20回は、東日本大震災(2011年)の影響で失業し、オーバーステイ(超過滞在)になったチリ人のペニャ・ゴドイ・クラウディオ・ベニトさん(60)。

 来日24年になるクラウディオさんは、東京都内のチリ料理店や地中海料理店で15年間働き、雑誌や新聞にも度々紹介された人気シェフだった。しかし現在は、在留資格が得られず、就労も許されない仮放免(注)生活を強いられている。東京都港区にある東京出入国在留管理局(以下・東京入管)と茨城県牛久市の東日本入国管理センター(以下・牛久入管)で、通算約5年の収容生活も経験した。
 取材当日(10月28日)のクラウディオさんの全財産は千円余り。善意の人々の支えによって、東京都内のコインランドリーの2階に住んでいるが、木造の古い建物で、風呂もなく、冬はとても寒い。

雇用主が海外移住 在留資格を失う

 チリでシェフの道を志し、その後米国やイタリア、スペインの専門学校で国際料理法を学んだクラウディオさんは、1992年には、母国の首都サンティアゴで開催された国際シェフコンテストで金メダルを獲得。東京のチリ料理レストランで働いていた時には、チリ大使館職員らが足しげく通うほど、本場の味を提供し喜ばれていた。
 しかし9年前の東日本大震災で、人生が一変。

「新しい店で働くことになり、その店のオーナー(雇用主)が、僕の新しい保証人になってくれることになっていた。新しいビザの申請書類と保証人の変更届けもほぼ準備ができていた。それなのに、東日本大震災で、オーナーが東京に迫ってくる放射能汚染が怖いと、突然、家族と一緒に海外移住したのです。オーナーの署名と印鑑が足りず、入管への提出書類がちゃんとそろわなかったのです」
 クラウディオさんは毎日、東京入管に通って事情を話し理解を求めたが、大震災のただ中であっても入管は例外を認めなかった。入管がクラウディオさんに与えた猶予期間はたった2週間。クラウディオさんは必死でオーナーの行方を探したが、署名と印鑑の問題が解決しないまま2週間が経過。クラウディオさんはオーバーステイになってしまったのだ。
 それから2カ月後、入管職員が自宅にやって来て、「非正規滞在の外国人」としてクラウディオさんを入管に収容。収容生活は2年以上に及び、その後、仮放免となったが、4年後に再び収容されたのである。
 日本では、在留カードに「2020年12月まで有効」と明記されていても、雇用関係を失った時点で、在留資格を失ってしまう。在留カードの有効期限は、あくまでもカードの有効期限で、在留期限とは全く関係ないのだ。
 こうしたことから外国人は、雇用関係や婚姻関係が切れれば、極めて不安定な立場に置かれる。誰でも「非正規滞在」に陥る可能性が高い現在の入管のシステムがあるからこそ、外国人の〝使い捨て〟など、人権侵害が改善されないのだろう。

母国で元軍人らの襲撃受けた体験も

 在留資格を失ったクラウディオさんは、やむなく難民認定申請をすることを決断した。
 クラウディオさんが青春期を過ごした時のチリ政府は、ピノチェト大統領(在任1974~90年)による軍事独裁政権。反体制派と見られた市民らの行方不明者・死者数は、約3千人と公表されているが、実際は数倍と見られている。87年、聖ヨハネ・パウロ2世教皇がチリを訪問した時、虐殺が行われた国家スタジアムでミサをささげ、「苦しみと痛みの場」と表現している。
 クラウディオさんの父親も軍人だったため、政権による虐殺に加担した。91年、政権交代後には前政権の人権侵害に関する調査が開始され、クラウディオさんの父親が調査に協力したため、元軍人らからは「裏切り者」と見なされ、恨みを買ってしまったのだ。
 やがて一家は、極右団体からも、極左団体からも命を狙われることになり、隠れるように生活していたが、92年、クラウディオさんが国際シェフコンテストで優勝。その記事が新聞等に載ったことから、クラウディオさんの居場所が公になってしまった。
 「ある夜、複数の人たちから囲まれ誘拐されました。車から下ろされると、全裸にされ、殴る蹴るの暴行を受け、全身に小便をかけられました。そして太い鎖で何度も頭を殴られ、肛門に棒を突っ込まれ、瀕死の状態になりました。それ以外にも誘拐されそうになったことがあり、迫害から逃れて僕たち家族は離散。今も、チリに戻れば命の危険があるので、母国に帰れないのです」

チリ領事も命の危険性を認める

 2年前、クラウディオさんを駐日チリ領事らが訪ねてきたが、今でもサンティアゴでクラウディオさんには命の危険があるとの認識を示したという。しかし、日本では何度難民認定申請をしても却下され、退去強制命令まで出ている状況だ。
 襲撃事件の後遺症でクラウディオさんは左耳の聴力を失い、今も耳鳴りに苦しめられている。左目の視力も低下。左下肢静脈瘤りゅうも患っており、強制送還に伴う航空機での長旅をすれば、血栓症を引き起こす可能性もあり、命の危険さえあるのだ。
 「時間があると悪いことばかり頭に浮かんで、自殺を考えてしまうから、今は公園でドングリや松ぼっくり、葉っぱを拾って、皆にプレゼントするクリスマスリースを一生懸命作っています。忙しくしないと、死にたくなるからです」
 生きるために、クラウディオさんは毎日、必死に闘っている。

【注】仮放免とは、入管の収容施設外での生活を認める制度。

㊨チリ人の元シェフ、クラウディオさん

クラウディオさんが、牛久入管収容中に描いた「USHIKU2020 」。鎖で束縛を表現

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