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第44回 「難民」による社会貢献活動

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㊹ 「難民」による社会貢献活動
(カトリック新聞 2021年9月26日・10月1日合併号掲載)

日本にはさまざまな事情で暮らす、いわゆる「非正規滞在の外国人」が大勢いる。しかし、日本政府は彼らの個別の事情を考慮せず、既に「出入国管理及び難民認定法」(入管法)上の退去強制令書が出ていることを根拠に、法務省・出入国在留管理庁(以下・入管)の収容施設に無期限で長期収容したり、帰れない重い事情のある者たちの強制送還を行ったりしている。「非正規滞在の外国人」に対する、人権侵害を考えるシリーズ第44回は、長年、外国人支援をしてきた大阪教区の社会活動センター「シナピス」(所長・松浦謙神父)の取り組みを取材した。

シナピスは昨年12月、大阪市生野区にある韓国殉教福者修道女会の旧修道院を再利用して「シナピスホーム」を開所した。現在、難民認定申請者(以下・「難民」)たちがここを拠点に社会貢献活動を始めている。
大阪市生野区の閑静な住宅街にある同ホームは、3階建ての一軒家。数年前までは修道院として使われていた。今は、その1階を「シナピスカフェ」(無料)として地域に開かれた〝サロン〟に役立てている。
毎週水曜日になると、ホームの前には「シナピスカフェ」の看板が立つ。〝開店〟時間(午後1時~4時)には通りすがりの地域住民や、顔なじみの学生・若者たち、また「外国にルーツがある人」たちが立ち寄り、異文化交流を楽しんでいる。
このカフェの特徴は、イランやスリランカ、ウガンダなど、「『難民』たちが主体となって地域住民をもてなす」ことだ。
そして、カフェには「難民」たちがホームの屋上で育てたミントを使用した「自家製ミントティー」もある。また各国の「難民」たちが持ち回りで作るそれぞれの国のお菓子を提供していることも、魅力の一つとなっている。

人間の尊厳の回復

大阪教区(大阪、兵庫、和歌山)には、在日コリアン(韓国・朝鮮人の意味)が多く居住する。また1980年代からはベトナムをはじめとするインドシナ難民、さらに30年前からはアフガニスタン難民を受け入れて支援するなど、多文化多民族共生の課題に地道に取り組んできた。
大阪教区で約30年間、外国人支援をしてきたシナピスのビスカルド篤子さんは、「シナピスカフェ」が生まれた背景をこう説明する。
「昨年の春、新型コロナウイルスが感染拡大し、感染防止のために大阪教区本部(大阪市中央区玉造)やシナピス(同)の建物を一時閉鎖しました。それまで『難民』たちは、敷地内の清掃など労働奉仕(ボランティア)をしていましたが、緊急事態宣言下で来れなくなってしまいました。そこで一人一人に生活支援金を手渡すために久しぶりに彼らに会った時、彼らの悲しみに似た表情を見て気付いたことがあったのです」
シナピスが関わっている「難民」は、「仮放免」(入管収容施設外での生活)を強いられているため、①就労を禁止され、②国民健康保険にも加入することができない。彼らは、「寄付」によって生活するしか、命をつなぐ方法はない。生活支援金は「生きる」ために必要不可欠だ。
しかし、ビスカルドさんは、生活支援金を受け取った時の「難民」たちの表情に、「施しを受けるだけでは嫌だ」という心の動きを感じ取ったのだという。
「支援を受ける」だけではなく、これまでのように清掃などの労働奉仕をして「誰かの役に立つ」。そのことによって、彼らは「人間としての尊厳」を保ってきたのだと、あらためて気付かされた。そして、「社会貢献活動がないと彼らは病んでしまうのではないか」という危機感を抱いたのだ。
そこで思い付いたのが、コロナ禍で奮闘する医療従事者を支援する活動だった。
「閉鎖中だったシナピスのホール(大部屋)などで、『難民』たちと一緒に、大きなポリ袋で医療用防護服を作ったのです。そこには、自分たちが直接、医療従事者を助けていること、そして自分たちも社会貢献していることを実感しながら生き生きと作業をする『難民』たちの姿がありました。この姿を見て、『社会貢献』を基本にして彼らを支えていこうと心に決めたのです」とビスカルドさんは話す。

 「難民」が高齢者を支える

旧修道院再利用の話は2019年のこと。当時大阪教区の補佐司教だったヨゼフ・アベイヤ司教(現・福岡教区司教)が、韓国殉教福者修道女会の旧修道院の存在を知って、教会の社会活動のために〝再活用〟できないかと模索していたのだ。
そして、アベイヤ司教のアイデアで、2階部分の個室を、住む場所のない「難民」たちの中長期シェルター(保護施設)にすることになり、翌年、旧修道院を所有するフランシスコ会が土地と建物を無償で提供。大阪教区がランニングコスト(維持・管理等の経費)を負担、シナピスホームが誕生したのだ。
そして1階については、「社会貢献」の場として生かすことに決めた背景をビスカルドさんはこう話す。
「地域には在日コリアンの高齢者が多く、介護もデイサービスも必要がない方々がよく散歩しておられます。元気で、身の回りのことはできるけれど、少し生活が単調だったり、切れた電球を一人では取り替えられないなど、ちょっとした不自由さが日常生活にはあります。そこで、そうした地域の高齢者を『難民』たちが主体となってもてなす無料の『おとしより食堂』を始めようということになったのです」
シナピスの山田直保(なお)子さんが提案した「おとしより食堂」は、「難民」たちが料理を作って高齢者に振る舞い、憩いの場を提供しようというもの。コロナ禍でまだ〝開店〟することができないが、現在、「難民」たちが運営会議を開き、試食会を重ねて〝メニュー開発〟を続けている。
皆がシナピスホームに集まって、「スパイスが強すぎるよ」「お年寄りにも食べやすい味付けにしよう」などと、それぞれの〝お国自慢〟の料理を改良しているのだ。
将来は、この「おとしより食堂」も「シナピスカフェ」と共に「難民」たちの励みになっていくのだろう。
「シナピスカフェ」の利用者は、当初は近隣の高齢者が目立っていたが、最近では、祖父母から「あそこで面白いことをしている」と聞き付けた大学生や若者たちが来るようになり、「難民」たちとの異文化交流を楽しんでいるという。
地道に交流を重ねて、地域住民と親しくなっていけば、高齢者が「重い物が運べない」などと日常生活の中で困っている時には、「難民」たちが手伝いに行くということも可能になる。
また、「難民」たちにとっても、自分たちの文化を紹介したり、もてなしたりすることが、日々の生きる励みにもなる。
ビスカルドさんはこう話す。
「長年、難民支援を続けてきた結果、たどり着いたのが、『難民』による社会貢献の場をつくるという発想の転換でした。『仮放免』の『難民』たちは、勤労意欲があるのに、働くことも許されず、公的な生活補助も受けられない。社会の中で、存在しているのに存在を否定された〝幽霊のように〟生きることを強いられています。言い換えれば、日本政府によって人間の尊厳を奪われた状態です。彼らにとって、人間の尊厳を回復していくためには、社会貢献ができる場がぜひとも必要なのです」
近年、日本国内には、使われていない修道院などの建物が増えている。ビスカルドさんは「シナピスホーム」が旧修道院等の再活用のモデルケースになればと話していた。

写真=「難民」たちはコロナ禍で奮闘する医療従事者を応援したいと、ポリ袋で医療防護服を作る(シナピスセンターで)

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