日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)は福音に基づいて、多民族・多文化・多国籍共生の社会をめざしています。

第22回「人間の尊厳」のための闘い

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(カトリック新聞2020年12月13日号掲載)
 日本にはさまざまな事情で暮らす、いわゆる「非正規滞在の外国人」が大勢いる。しかし、日本政府は彼らの個別の事情を考慮せず、既に「出入国管理及び難民認定法」(入管法)上の退去強制令書が出ていることを根拠に、法務省・出入国在留管理庁(以下・入管)の収容施設に無期限で長期収容したり、強制送還を行ったりしている。「非正規滞在の外国人」への人権侵害を考えるシリーズ第22回は、入管収容施設に収容され通算7年以上になるパキスタン・カシミール地方出身のムスタファ・カリルさん(57)の前半。

長い間、難民認定申請をしてきたが難民として認められず、在留資格がもらえないために、ムスタファさんは、茨城県牛久市にある東日本入国管理センター(以下・牛久入管)に収容されている。難民でありながら、人間の尊厳を無視した、「まるで〝ごみ〟のような扱いを受けている」現状に抗議をする意味で、固形物を食べないハンガーストライキ(以下・ハンスト)をして4年半になる。
 
80㌔あった体重は今では50㌔に激減。体はあたかも骨と皮だけしかないような痩せ細った状態だ。肌は血の気なく真っ白に見える。まるで第2次世界大戦中におけるナチスドイツの強制収容所の囚人のような姿に変貌してしまった。

独立運動参加で20回逮捕・拷問も

 パキスタンは、2001年の米国同時多発テロ事件をきっかけに、対過激派イスラムテロ掃討作戦に方向転換した。そのため、全土がテロリストの標的と化し、今も市民の犠牲が絶えない状況だ。またムスタファさんの故郷カシミール地方は、インドとパキスタンが長年領有権を争い、現在も戦闘が繰り返されている。
 パキスタンにいた頃のムスタファさんは、カシミールの独立運動に参加。20回逮捕され、拷問も受けた。命の危険を感じたムスタファさんは1987年に日本に逃れてきた。しかし、これまで4度の難民認定申請をしたが、入管は「母国に帰っても問題はない」との判断で、難民として認めてくれなかった。
 通算7年以上に及ぶ入管収容生活でムスタファさんが心身共に苦しんでいるのは、入管職員から受ける数々の「いじめ」と「医療放置」だ。それは2015年、3度目の難民認定申請が認められず、東京都港区の東京出入国在留管理局(以下・東京入管)に再収容された時から始まる。
 「僕は膝が悪く特注の膝ベルトを両足に着けていました。ところが、収容される時に膝ベルトを外すように言われたのです。理由は、膝ベルトに入っている幅2㌢で長さ20㌢の金属が危険だと。でも金属はベルトに縫い込まれていて取り出せないから危なくない。僕は『膝ベルトがないと歩けない』と抗議しました。そのことは職員内で共有されず、対応する職員が変わるたびに説明しなければなりませんでした」
 そしてムスタファさんは望んでもいない、松葉杖のアプリケーション(申請書)に無理やりサインをさせられ、渡された不慣れな松葉杖の使用が原因で肩を激しく痛めてしまったのだ。これによりムスタファさんは3カ月間、寝たきり状態となった。何度も入管の外の病院で治療を受けたいと願い出たが却下され、そのまま「医療放置」が続いた。
 この間の約3カ月、ムスタファさんは外部の支援者との面会を望んでいたが、入管職員は「本人が面会を望んでいない」と言い、ムスファさんが外部と接触できないように画策したのだという。
 後にこの「膝ベルト事件」は国家賠償請求裁判へと発展するが、これがきっかけで、その後、ムスタファさんへの執拗な「いじめ」が始まったというわけだ。

「医療放置」で体はボロボロ
 
15年8月、東京入管を経て牛久入管に移ってからのことだ。ムスタファさんは、歯の痛みが激しく、入管外部の歯科医に連れていってほしいと何度も申し出たが、却下された。代わりに渡されたのは、鎮痛剤の座薬だった。
 「この座薬がきっかけで痔 を悪くして、今度は痔の薬をもらいました。ところがある時突然、薬が変わったのです。その薬は、全然効果がなかった。誰が薬を変えたのか、とドクターに聞いても、ドクターは知らないと言う。入管職員も答えてくれない。前の薬に戻してほしいと訴えても聞いてもらえない。いったい誰がドクターの許可を得ずに薬を変えたのか、分からないことだらけです」
 今も便器が赤く染まるほど激しい出血が続いている。

 またこんなこともあった。食欲がなく、配膳される弁当のご飯を「おかゆに変えてほしい」と頼んだ。他の被収容者が、かゆに変えてもらっていたのを知っていたからだ。
 しかし、入管職員は、ムスタファさんの申し出を拒否。その出来事があってから、ムスタファさんは、「いじめ」への抗議の意味で、固形物を食べないハンストを始めたのだ。入管職員は「どうせハンストも3日、4日もたないだろう」と挑発的に言い放ったという。
 ムスタファさんが1日に口にする物は、コーヒーやお茶だけの日もある。ほとんど寝たきりの状態で、神に祈り、慰めを得て、命をつないでいる日々を送っている。
 しかし、4年半にわたるハンストと痔の大量出血で毎日、激しい貧血に襲われ、今は3秒立ち続けるとめまいがしてしまう状況だ。シャワーを浴びる時も、床に座り込んだまま。入管内での移動も車いすを使用している。
 昨年5月、ムスタファさんは吐血した。小さな容器に血を移し、検査を依頼したが、入管職員はその容器を医者に見せずに捨ててしまったという。
 「ここに収容された人の中には自分と同じように『痛い。痛い』と言い続けて亡くなった人もいます。入管の外に出されて、すぐに死んだ人もいます。今、自分が闘う姿を見せて、他の収容者を励ましたい。諦めては駄目だというメッセージを送り続けたい。僕たちは、動物じゃない。収容されている外国人は、同じ人間なのだということを示すための闘いなのです」
 (ムスタファさんの話の後半は次号に掲載予定)

来日当初80㌔あったムスタファさん。入管施設での長期収容で風貌もすっかり変わってしまった

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