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第36回 収容は拷問の”道具„

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㊱ 収容は拷問の〝道具〟
(カトリック新聞 2021年6月6日号掲載)

日本にはさまざまな事情で暮らす、いわゆる「非正規滞在の外国人」が大勢いる。しかし、日本政府は彼らの個別の事情を考慮せず、既に「出入国管理及び難民認定法」(入管法)上の退去強制令書が出ていることを根拠に、法務省・出入国在留管理庁(以下・入管)の収容施設に無期限で長期収容したり、帰れない重い事情のある者たちの強制送還を行ったりしている。「非正規滞在の外国人」に対する、人権侵害を考えるシリーズ第36回は、現在、難民認定申請中のスリランカ人、ジョージ・フェルナンドさん(33)を取材した。ジョージさんの父親は、7年前に入管収容施設で亡くなっている。

今年3月6日、名古屋出入国在留管理局(以下、名古屋入管)で起きた、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)死亡事件(本連載第35回等)は、マスコミで大きく取り上げられた。
これにより、「入管法改定案」(政府案)の中身と、今までほとんど知られることがなかった入管の〝人権問題〟にもスポットが当てられるようになってきたのだ。
しかし、名古屋入管で医療放置され、死に至ったこの悲惨なウィシュマさん死亡事件は、これまで表面化してこなかった、入管内の多々ある死亡事件の氷山の一角に過ぎない。
1997年からのわずか24年足らずの統計ではあるが、全国の入管収容施設で亡くなった人の数は、21人(うち自殺6人)とされている。そして、これに死亡日時の分からない「日付不詳者」を加えると、入管施設内の死者は24人。
しかも、この数字は、あくまで判明している事案だけのもの。言い方を変えれば、それらは〝事件性〟のないものとして処理され闇に葬られてきた〝死亡事件〟の犠牲者の数なのである。

来日10日間で死亡

今回取材したジョージさんは、亡くなったウィシュマさんと同じスリランカ人だ。ジョージさんの父親、カトリック信者のニクラス・フェルナンドさん(当時57歳)は2014年11月22日、東京出入国在留管理局(以下・東京入管)の収容施設で亡くなった。
ニクラスさんと息子2人(ジョージさんと弟)は、母国では、スリランカの統一国民党(UNP)の支持者だった。そのため、ジョージさんたち家族は14年のある日、自宅に押し掛けてきた反UNP関係者により殴る蹴るの暴行を加えられた。その時は、銃をこめかみに突きつけられて、「殺すぞ」と脅されたという。
身の危険を感じたジョージさんは、その年の3月20日に、妻と共に日本に逃れてきた。そして難民認定申請を行うのだが、その後、兄ジョージさんを追って弟も来日。父親のニクラスさんは二人の息子の様子を知りたいと、14年11月12日に、観光ビザで来日した。
ニクラスさんが取得した観光ビザは、スリランカの日本大使館が発行したもの。それにもかかわらず、東京・羽田空港での入国審査時に〝事件〟は起きる。職員が「ビザに問題がある」と、ニクラスさんに言い掛かりを付け、ニクラスさんを東京入管の羽田空港支局の施設に収容したというのだ。
そして2日後の11月14日、ニクラスさんは、スリランカに強制送還されるはずだったが、その日、飛行機に乗せられる間際、搭乗を拒否したため、3日後の17日に、東京・港区の東京入管の施設に収容されることになったのだという。
ジョージさんはこう話す。
「お父さんは羽田(空港支局)でも、東京入管でも、入管職員に胸ぐらをつかまれ、『帰れ、帰れ』と言われたそうです。お父さんは、来日4日後から体調不良を訴えました。そして11月21日に胸の痛みを訴えたのですが、治療は受けられなかった。22日の朝にも、大部屋から監視カメラの付いた〝懲罰房〟(隔離室)に移される前に、胸の痛みを訴えながら、ポケットに入っていた聖書を触って、『私はクリスチャン。うそをつかない。病院に連れていってほしい』と頼んだそうですが、病院ではなく〝懲罰房〟に連れて行かれました」
そして、来日からわずか10日しかたっていない11月22日、ジョージさんの元に父親の訃報が届いたのだ。その日の午後1時過ぎに、入管職員が冷たくなっているニクラスさんを発見し、その後、病院で死亡を確認。「死体検案書」(2020年4月19日発行)には、「直接死因」として「急性心筋梗塞」と記されている。

額に深い傷跡

ジョージさんは、父親の死が、単なる「病死」として片付けられてしまうことに納得がいかないと訴える。
正式なビザを持ち、収容する必要のない父親を入管施設に無理やり閉じ込めて、極度のストレスを与えたこと。そのことが、「急性心筋梗塞」の原因になったのではないかと考えているのだ。そして体調の異変を訴える父親に適切な治療を施さず、医療放置したことは、「殺人」に相当すると確信している。
さらに、ジョージさんには納得できないことがある。亡くなった父親の額には大きな深い傷と、複数の傷跡が残されていたのだ。
11月23日、「この傷は何なのか?」と尋ねても、東京入管も警察も「知らない」と言うだけ。しかし、どうしても納得できないジョージさんが、しばらくして東京湾岸警察署に出向き、再度、傷について調べてほしいと訴えたところ、今度はこんな話を聞かされたという。
「入管の職員から聞いたのは、交通事故があって、車が急ブレーキをかけたために、(ニクラスさんの)額にストレッチャー(担架)がぶつかって傷ができた」
しかし、ストレッチャーがニクラスさんの頭部に当たったのならば、あおむけになっている額の部分には傷跡は残らない。むしろ、頭部のてっぺん部分に傷ができるはずだ。
ニクラスさんと同じブロック(区画)に収容されていたスリランカ人の話では、父親の額の傷跡は、東京入管施設にいた22日には、既に残っていたというのだ。
ジョージさんは、警察に対して、原因がストレッチャーとぶつかったことにあるのならば、それを明記して、「正式書類」として出してほしいと繰り返し要望を出しても、警察署は対応できないと言うだけ。
また東京入管には、父親の最期が写されている監視カメラの映像を見せてほしいと要望を出しているが、いまだに開示する様子はない。「死体検案書」にも、額の傷についての記載が全くないのだ。

「ビザあげるから」

それどころか、入管職員は取り引きを持ち掛けるように、「ビザあげるから、裁判しないでね」と話し掛けてきたのだという。
母国に帰れば、命の危険があるジョージさん。「それならば在留資格をもらってから裁判をしよう」と考えるようになったと言うが、事件から4年後の18年8月のことだった。入管からは、難民としては認められないという回答があり、在留資格は得られなかったのである。
しかも、その時にはまるで計算されていたように父親の死亡事件も時効の3年を過ぎてしまって、裁判もできない状況に陥ったと知った。父親と同じブロックにいた、貴重な証言者であるスリランカ人も既に母国に送還されていたというのだ。
ジョージさんは入管に対する不信感を募らせているが、今は2度目の難民認定申請中で「仮放免(入管収容施設外での生活)」の身だ。妻子や実母らと共に暮らしてはいるものの、「就労禁止」「国民健康保険に加入できない」など、日本での生活は、日々苦しみの連続だ。
しかし、母国には帰れない。そしてジョージさんには、日本にとどまる理由も出てきた。それは父親の「額の傷」の真相を解明することと、日本にある父の墓を守ることだ。
5月29日、東京・築地本願寺で開催された「ウィシュマさんを偲(しの)ぶ会」にジョージさんは参列し、ウィシュマさんの二人の妹に声を掛け、励ましていた。
「皆、健康だったのに、入管に収容されると病気になります。病気になった時、早く病院に連れていっていたら、僕のお父さんも、ウィシュマさんも、死ななかった。これは『殺し』です」
「困っている人がいたら助けないといけないよ」と言い続けていた優しい父親を思って、毎年命日の11月22日には、遺族は追悼ミサをささげている。

写真=「入管法改悪反対」を訴える国会前の座り込みデモで、父親の額に複数の傷跡がある写真を持って真相解明を訴えるジョージさん(5月12日)

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